不幸が幸せになる考え方

不幸な出来事が幸せになるなんてことがあるでしょうか。それは無理な話しですよね。不幸は不幸なのですから。でも、幸も不幸も考え方、感じ方でかわってきます。もう何年か前の話しです。実家は、もうだいぶん古くなり、結構、外の壁だの、屋根だの木が腐っていたり、ベランダは、さびがでて、場所によってはぼろぼろ、なんて状態です。両親はもう住んでおらず、たまに実家にいっては掃除や、草むしりをしているのですが、このときは2階の屋根が気になり、1階の外庭から2階に登ろうと、ベランダのふちに手をかけて、そのまま懸垂するように2階へ・・。若いときは多少体力はあり、身軽なほうだと思っていたけど、今はまったく違って。勢いよく登ろうとしたところ、手を滑らせ、そのまま背中から落下してしまいました。よく、運動会でおとうさんが走って、体がついてこなくて転ぶ・・。そんなパターンです。高さはそんなになかったはずだけど、下が固かった。落ちたときに、腰と、背骨がボキ、ボキっというのが聞こえて、左手も背中の下に入り、痛さは半端じゃない。とにかく、息もできなければ、声もでない。とんでもなくやばいことになったとは思いました。内心、もう動けなくなるのではないか、そんなことも覚悟しました。なんてことだ。普通に階段で2階に上がればよいだけだったじゃないか。へんに体力があるなんて過信したばかりに、ちょっとした遊び半分の気持ちで、こんなことになるなんて。たったこれだけのことで、今後の人生がかわってしまうのか。短い時間でいろいろ考えました。そのまま横になって30分くらい。痛さも多少落ちついてきて、動けるのか不安があったけど、少しずつ動いてみると、激痛がはしるが、近くにある棒を支えに立つことができまいした。このときは、痛いにもかかわらず、動けてよかったと心底おもいました。この瞬間、不幸が幸に変わった感じでした。結局、背骨は、骨が1つ少しつぶれていたが、幸いにして、その後、私生活には影響が無く、今は左手首が痛いくらいです。今も時々考えます。もし、頭から落ちていたら・・。そう考えるだけで、手首が痛いくらい、なんてことは無い。世の中の事件や、事故、きっと、本当にちょっとした判断やタイミングなんだろうな。そんなことを思います。さて、不幸な出来事が幸せになる?不幸なことが起きたとき、それが不幸だと思うより、それよりもっと不幸なことがおきていたら、と考えると、今の不幸はまだましだって思えますよね。マイナス思考はよくないこと、だけど、たまにはマイナス思考をフル回転させると、案外、今って実はまだましなんだって思えるかもしれません。そう思えれば、ちょっと幸せがちかよってきます。