忘れる力を身につける

忘れる力を身につける

昨日食べた晩飯も思い出せない。久しぶりに会った人の名前も出てこない。買い物に行けばしっかり買い忘れをする。これ以上に忘れる力を身につけたら生活に支障がでる。ばかばかしい。忘れることより、覚えることのほうがよっぽど身につけなければいけないことだ・・。確かに覚えることは大切なことである。しかし、忘れることの方が覚えるよりももっと難しいことであり、重要なことでもある。人は楽しいことより、嫌なことのほうが記憶に残りやすいという。それは、嫌なことほどこの先回避しなければならないためであり、本能として必然的なことなのだ。しかし、この嫌な記憶は時として心を蝕み、不安にさせ、楽しい記憶や、未来までも消失させてしまう。ここでの忘れる力は、忘れたくても忘れることができない嫌なできごとであり、嫌な思い出や考えである。では、なぜ、覚えることより難しいのか。覚えることは、覚えることを意識すればよいのだが、忘れることは意識すればするほど忘れることができなくなる。そう思えば思うほどである。やがて無意識のうちに思い出し、考え、ため息をつき、嫌になるのである。ではどうすればよいであろうか。

 「無意識」を意識する

ふと気がつくと辛かったことを思い出している、ため息がでる、後悔している、嫌なことを考えている・・。落ち込んでいるときほど、無意識にマイナスなことを考えてしまう。ほっとけば、ますますその思考にはまっていく。その繰り返しから抜け出すことができない・・。一度嫌なことに考えがいってしまえば、すぐに気分転換することは難しい。まずは、無意識を意識化することだ。だが、大抵は、気がついたときにはすでに「マイナス思考」に陥っているのである。まずは、いかには早く、「マイナス思考」に気がつけるかである。気がつくようにするには、意識する必要がある。嫌なことを思い出したときに、そのまま思いにふけるのではなく、「今、嫌なことを思い出している」と、自分で認識することから始めるのだ。時々、今、嫌なことを考えていないだろうか、と意識してみるのもいい。少しでも早く「マイナス思考」に気がつくこと。まずはこれが第一歩だ。

 「考えてはいけない」と考えない

「マイナス思考」に気がつくことができたとする。放っておけば、また、いつものように悪いことばかり考えてしまう。考えてはいけない、思い出してはいけないなどと必死に思えば思うほど、頭の中に残ってしまう。これは、いわゆる「しろくま効果」だ。心理学の研究で被験者に「しろくまについて決して考えてはいけない。」と指示を出す。強く指示を出されるほど、しろくまについて考えてしまうというものだ。これでは、逆効果である。「考えてはいけない」と考えないことである。簡単に言うならば、ほかの事を考えればよいという事だ。人間の脳は優れている。無意識のうちに、同時にいくつもの事をこなす。歩きながらアイスを食べて、電話をしながら景色を楽しむ。だが、意識的におこなえることは実は限られている。本を読みながら、算数を解くことはできない。2人同時にしゃべっている内容を同時に聞き取ることができない。右手と左手で別々の文字を書くことができない。このできないことをうまく利用すればいい。つまり、「考えてはいけないこと」とは違う、「別のこと」を意識的に考えることで「考えてはいけないこと」を考えれなくするのだ。

 思考を止めて考える

何か考えにふけっているときに、「ほかのこと」を考えろ。といわれても、すぐには考えられない。そのひとつの理由は、脳の切り替えができないことだ。そもそも気になっていることを考えているのだから、ほかの事を考えなくてはと思っても、すぐに気分がもどってまた同じことを考えてしまう。頭の中だけでのせめぎあいしていても気になることを優先してしまうのは仕方のないことだ。ではどうやって切替えればよいのだろうか。脳の中だけで切替できないのであれば、外部からの刺激があれば切替のきっかけになりやすい。例えば、何か考え事をしていたとしよう。大きな声で誰かから急に名前を呼ばれれば、びっくりして考えは一時中断するだろう。大きな地震があれば気を取られるし、宅配便がきたのならば、それを優先しなければいけない。まずは、今の思考を一時止めることだ。だが、毎回都合よく名前を呼んでくれる人はいないし、地震も起きなければ、宅配便も来ることはない。周りには期待してはいけない。自分できっかけをつくるのだ。それはなんでもいい。立ち上がって歩くのもいい、叫んでもいい、どこかつねるのでもいい。そして、深呼吸するだけもいいのである。自分にあった「思考を一度止める」方法を見つけて、それを習慣にする。思考を一度止めることができれば、次は、「ほかのこと」を考えることである。しかし、大抵、すぐに「ほかのこと」など考えることができない。そのもうひとつの理由は、その時に「ほかのこと」が思い浮かばないからだし、思い浮かんでもさほど集中するほど重要でもないからである。ならば、事前に「ほかのこと」を準備しておき、それに集中する練習をしておくことだ。そう、調子の良いときから、日々、わざわざ練習して、習慣化するのである。習慣とは、難しい言い方をすれば「反復によって習得し、少ない心的努力で繰り返せる、固定した行動のこと。」である。つまり、習慣化できれば、いざ気分が落ち込んだ時に、少ない心的努力で、気分の切替ができるようになる。「思考を一度止める」「ほかのことを考える」方法は自分に適したそれぞれたった一つの方法さえ見つければいい。

 例えば良い事を思い出す

気分が落ち込んでいるときに、良いことを思い出せばいい・・。が、それは不可能だ。過去にどんな良いことがあろうが、素敵な経験をしていようが、どれだけお金持ちであろうが関係ない。今気分が落ち込んでいるのであれば、思い出したところで、ただ昔が懐かしく、うらやましく、今が余計にむなしく、寂しくなるだけだからだ。ならばどうすればよいか。気分の良いときに、思い出すべき過去の出来事を事前に準備することだ。今まで嫌なことしかなかったであろうか。後悔することしかなかったであろうか。そうではない。些細なことであれ、何かしらよかったと思うこと、うれしかったことがある。それをリアルに思い出すのだ。そのときの風景、雰囲気、感覚、そして何よりそのときの気持ち。着色してもいいし、うそでもいい。まるでそのときに戻ったように、その思いの中に入り込んだように、具体的に、明確にだ。そして、その思い出のストーリーが出来上がったら、何度も思い出してみる。もちろん、気分の良いときにだ。まるでその時のように、しっかりそのストーリーの中に入り込むことができれば、準備の出来上がりだ。落ち込んだときに、そのストーリー通りに思い出してみる。いつ、どこで、そのとき何があり、どんな空気で、何を感じ、どう思ったか。そして、「今」を抜け出し、過去の思い出に入り込むのだ。

 例えば耳を澄ます

なにも必要ない。ただ耳を澄ませばいい・・。ところが実際にやってみると簡単ではない。耳を澄ましたところで、「今」を忘れることなどできはしない。簡単には雑念が消えないからだ。ここでは耳を澄ますことが目的ではない。周りの音に集中し、今を考えないことが目的なのだ。それには集中力が必要になる。まずは目を閉じて肩の力を抜いてみる。一番大きな音はなんだろうか。耳を傾けてみる。どこから聞こえて、何の音か、はじめはすぐに分かる。次はもっと遠くの音、小さい音に気を向けてみる。今まで気にしていなかった音が聞こえるようになる。耳を澄ませて、さらに、もっと遠く、もっと小さな音を探してみる。次は想像力だ。小さな音だけで見ることはできない。だから具体的にイメージする。風が木に当たって葉っぱがこすれる音かもしれないし、公園で小学生くらの子供たち3人がおにごっこをする声かもしれない。後ろのほうの席ではきっと誰かの噂話しでこそこそ話しをしているし、自動販売機がある隣の部屋では、誰かがコーヒーを買って飲んでいる。想像力に不正解はない。好きなように、思うようにイメージすればいい。そして、別の「今」へ入り込むのだ。

 例えば独り言を言う

もし誰かが気を使ってやさしく話しかけてくれたならば、多少気分はまぎれるだろう。だが、そんな人は誰一人いやしない。あなたが落ち込んでいようが、悩んでようが、他人からすればどうでもよいことなのだから。ならば、話しかけてくる人を自分で作ればいい。他人は当てにできない。作るのは自分の中でしかない。落ち込んでいることに気が付くことができたということは、落ち込んている自分と、それに気が付いた自分がいるということだ。大切なのは、後者、気が付いた自分だ。この世の中で唯一、落ち込んでいてはいけないと気が付いてくれたもう一人の自分だ。だが、気を付けなければいけない。所詮、同じ自分なのだから、同調しては意味がない。もう一人の自分には客観的になってもらう必要がある。それにはあらかじめ、客観的な言葉を決めておくことだ。そして、落ち込んでいる自分に言い聞かせるのだ。「そんなことは考えても解決しないから意味ないよ。」「この程度ですんでよかった。下手したらもっと大変だったよ。」「もっと悲惨な人いっぱいいるし」「気分切り替えてうちでゆっくり風呂でも入ろう」・・なんでもいい。自分にとってしっくりくる言葉を準備しておこう。もう一人の自分に、落ち込んだ「今」から引っ張り出してもらうのだ。

 例えば歌い、数を数える

好きな歌を口ずさむ、ひたすら数字を数える、なんでもいい。何か気分を転換できる物事を探しておくことだ。過去のことは簡単には忘れることはできないかもしれない。だが、時間がたてば、少しづつ薄らいでいく。心に余裕ができたらゆっくり思い返せばいい。その余裕ができるまで、しっかり忘れる努力をすることだ。