幸せ力を身につける

幸せ力を身につける

そもそも「幸せ」とはいったいなんであるか。今幸せかどうか。もし、幸せではないとおもったならば、「何が」原因であろうか。その多くは周りの環境に大きく影響を受けている。例えば、今の環境のまま発展途上国の貧困層に行ったならば相対的にお金持ちになる。日々食べるのもままならない人たちが回りにいたときにどう感じるだろうか。逆に、周りがお金持ちばかりで、高級車にのって優雅な生活をしていたならばどう感じるだろうか。注意すべきは、自分はかわらないが、まわりの環境がかわったことで感じ方が大きく変わることだ。幸せとは、何かと比較して、自分がそれより良いか悪いかで変わってくるということだ。ならば、比較の対象を何にするか、どう感じるかをコントロールできれば、幸せに近づく事ができるはずである。ここでは、どのように考え方、感じ方をかえれば幸せに近づけるかを記載していく。

幸せだとつぶやいてみる

幸せだとつぶやくだけで幸せになれるのであれば何も苦労はしない。しかし、毎日自分は不幸であると思っていると間違いなく、不幸になっていく。それは当たり前である。自分で不幸であると決め付けているのであるから、その思考があるかぎり間違いなく幸せだと思う事は無い。幸せだとつぶやくことで、不幸であると思う事を抑止することができる。まずは、不幸であるという考えを無くす事が第一歩である。冒頭で書いたとおり、幸せとは、とても曖昧なものである。人により異なり、また、環境によっても異なる。人と騒ぐ事を幸せと感じる人もいれば、一人でいる時間を幸せと感じる人もいる。またその時々でも求める幸せは違ってくる。すべての人が共有できる絶対的な幸せというものは存在しないのである。では不幸とは何か。自分が求める幸せと、今と比較しギャップを悲観的に感じることにほかならない。ましてや、周りに人々が自分の求める幸せをもっているのであれば、ますます悲観的になってしまうであろう。
「幸せ」とつぶやくことができたら、具体的に「何が」を考えてみる。環境は何も変わらない、変えるのは考え方だけである。不幸が比較のギャップであれば、その比較の対象を変えることで、曖昧である幸せに近づくことができる。比較の対象は自分の求める理想ではなく、自分の不幸な過去や未来である。つまり、今よりも悪い事と比較する事で、今が幸せに近づく考え方である。石につまづいて転んだとする。なんて運が悪いんだと考えるのではない。転んで骨折しなかったからよかったと考えるのである。不幸であると感じたときこそ、「幸せだ、なぜならxxxでなくてよかったから・・。」そう考えることが習慣付けできれば、間違いなく幸せに近づく事ができるのである。

楽しいとつぶやいてみる

「楽しい」とつぶやくだけである。ただし、条件がある。少し余裕があるとき、例えば起きて直ぐ、電車で移動中など、何もしない時間でなるべく心を無にする。嫌な事は考えないし、深呼吸をして穏やかな気持ちで、ただつぶやくだけである。ここで期待するのは、自己の潜在意識である。潜在意識とは、表面に表れず、内に潜んでいて、他人も自分ですらも気が付かないしコントロールできない強い意識のことである。楽しくない・・、そう思ったとき、実は思うより前に潜在意識が楽しくないと決めているのである。そして実際に楽しくないと、潜在意識はさらに楽しくないを確定的に決め付けていき、ますます悪循環に陥っていく。「楽しい」は潜在意識への働きかけである。つぶやけば直ぐに楽しい気持ちになるものではない。時間がかかるが、少しずつ楽しいと感じる事ができるようになってくる。

自分をほめてみる

人からほめられるのはうれしいことである。それは能力が認められた事や、存在価値、また、優越感かもしれない。理由はなんであれ、良い気分になれる。ところが、人からほめられることなど、そう毎日あるものではない。日々の生活において、ほめられるなど、期待してはいけないのだ。ならばどうすればよいか。そう、自分で自分をほめるのである。人がほめてもくれないのに、自分でほめることなどあるだろうか、いや、自分だからこそ、人が気づかないほめるべきところがたくさんあるのだ。それは、ほんの些細なことでいい。朝時間通りに起きれたか、朝挨拶ができたか、誰かと会話することができたか、仕事は少しでも進めれたか。たとえ簡単なことでも、できない人もいれば、できない時も有る。それができたならば、ほめるべきことである。もし、自分のほめるポイントが分からないのであれば、簡単で具体的な目標をつくってみる。そして、目標が達成できたときに、目標が達成できたことをほめてみる。例えば7時に起きること、朝2名に挨拶すること、×氏と会話すること、xxの仕事を済ますこと等である。自分で自分をほめるとは、悲観的な自己評価を排除して、自分の存在価値を自分で認識していくことである。

良いことをみつけてみる。

最近良い事があっただろうか。大抵良い事など何も無い。毎日がルーチンワークで同じような事の繰り返しだ。朝決まった時間に起き、同じ通勤経路で会社まで行き、やりたくも無い仕事をこなし、そして帰って気が付けば一日が終わるのである。昨日もそうであったように、今日もそうであり、また、明日もそうである。良い事を期待して、宝くじでも買えば、大金持ちになれるだろうか。なれるはずもない。いつもと違い場所に行けば、人生が変わる何かにであえるであろうか。であえるわけが無い。それは、今まで、そして、今を考えれば明らかだ。物事はそんなに思うようにうまくはいかないのだ。この先も同じように、良い事などおきはしないのである・・・。
さて、心理学によると、人はしばらく幸福を得ると、その幸福に慣れてしまい、幸福を得る前の心の状態に戻ってしまうという。つまり、同じ幸福が続けば幸福と感じれなくなるということになる。例えば、自動販売機でジュースを買ったらあたりがでてもう一本でてきたとする。些細ではあるが、ラッキーである。しかし、毎回これが続くと、喜びが薄れてくる。同じラッキーなはずなのに、それが当たり前になり、挙句に果てに、はずれがでると、残念に思うのである。起きている事は同じなのに、感じ方の基準が知らぬ間に変わってしまう。これが日常にも起こっているのだ。ではどうすればいいのか。今より良い事が起きるのを待つのではない、今、探すのだ。しかし、変わらない毎日、良い事など見つけられない・・。本当にそうだろうか。朝起きる。風邪で寝込んだときは起きるのも大変であったことを考えれば、普通に起きれることは良い事だ。外の出る。天気がいい。深呼吸をすると朝の匂いがする。下ばかり見ずに、周りを見渡してみる。木があり花があり鳥がいる。電車は時間通りに到着する。会社に行けば席があり、給料がもらえる。帰るところがあり、温かい風呂に入り、ゆっくり寝るのである。実は良い事は回りにいっぱいころがっている。ただ、見つける意識をしなければ、それは見つけることができないのである。