幸せを比較する考え方

幸せは考え方ひとつでかわるものだ。なんてことは誰でもわかってはいるんですが、でも考え方って難しいですよね。意外なことに、周りが不幸であると幸せを感じたり、また逆であったりする。「他人の不幸は蜜の味」という言い方がわかりやすいかもしれません。特にライバル意識をもっている相手が幸せだったり、不幸であったりで自分の幸せも影響してきます。例えば、友達の恋愛話しや失恋話しなんてのは、興味津々で聞いたりしますが、のろけ話となったら聞く気にもなれません。
結局幸せは、何かと比較することでより感じることができるものなのです。じゃあ、いったい何と比較すればいいのでしょうか。今、廻りの人たちとくらべたらどうでしょう。常に自分より不幸そうな人を探し、そこで幸せを感じてみる?それは一時的には幸せを感じるかもしれませんがそれはただの優越感だけかもしれません。相手からしてみれば、ただのいやは人でしょう。それが習慣になってしまったら、常に不幸な人を探していないといけなくなってしまいます。その人たちが自分より幸せになったら?不幸のどん底でしょう。きっと、いやな人になってしまいます。廻りの環境や人は自分ではどうにもなりません。もっと、よく知っている人で、変わることが無い人を比較の対象にしてみましょう。そんな人いる?・・そう、過去の自分です。私は過去に生きることがいやになった時期がありました。何もやる気がおきず、先が見えず、とにかく人生のどん底とやらを感じていた時期です。永遠に続くと思っていたその時期も、時間がたつにつてれ、変わってきました。底をのりこえてからは、何かあるとそのときの気持ちを思い出します。そうすると、あのときに比べていまはどれだけ幸せだろうか。などど思えるようになりました。皮肉なものです。いやな時期があったからこそ、その分、幸せを感じることができるようになったのですから。もし、今がどん底だと感じているのであれば、それを乗り越えたときに幸せがくる、少なくても、どん底よりは幸せになる。と信じることです。後は時間が多くのことを解決してくれます。少し余裕ができてきたら、少し幸せになることをしてみるだけです。・・あぁ、眠くなってきた。あの時は眠ることさえもできなかったから、眠れるなんて幸せだなぁ・・・。