子供のときは10円で駄菓子が買えたので10円でももらえればうれしかったですが、大人になると10円じゃ、ジュースも買えませんし、たったの10円でしかありません。財布にたまってくると、財布が分厚くなりじゃまとまで思うときがあります。10円ごときでは、幸せなんて感じることができません。
ところがある日の会社帰り、ただいつも通り歩いていると、落ちている10円を見つけて拾いました。きっと誰かが落としていったのでしょう。不思議なことに、財布に入っている10円玉なんかどんなけみてもラッキーとは思えないですが、落ちていた10円玉はなぜかラッキーと思えたんです。
考えてみれば、お金を拾ったことなど、もう記憶が無いくらい昔のこと。きっと、四葉のクローバー的なもので、めったに見つけれないものがみつかったから、ラッキーと思うんでしょう。
さて、この10円、拾ったのはいいが、どうしようか。警察に届けるような金額でもなく、特に必要なお金でもなく。そんなとき、ふと「幸せのペーフォワード」という言葉を思い出しました。ある本に書いてあった内容です。人から恩を受けたら、その人に返すのではなく、別の人にその恩を返す。そして、その次の人はまた、別に人に恩を返す、そして次の世代へ・・。やがて社会には互いを思いやり、ポジティブな循環が生まれる。というものです。さすがに、社会が思いやりに満ちてポジティブの環境になるのは理想論に過ぎないような気がしますが、せめて自分はポジティブな考え方ができるようになるかもしれません。その本の著者は、自動販売機のおつりをわざと置いていくそうです。次に自動販売機でジュースを買った人が、おつりが余分に出てきたと喜ぶことを想像して幸せを感じるそうです。これもひとつのペーフォワードというわけです。実際に次に自動販売機に来た人は、おつりが多いことに気がつかないかもしれないし、喜ばないかもしれません。ですので、ただの自己満足に過ぎないでしょう。でも、ひょとすると、本当に大喜びをして、その人もペイフォワードをするかも知れません。実際はどうであれ、きっと大切なことは、自分が幸せを感じ、さらに、誰かに幸せを与えたと思う事なんです。さて、この10円、もう一度、道路に落とす事にしました。この後、また、誰かがこの10円を見つけて、ラッキーと思う事を想像して・・。あれ?・・もしかして、私がペーフォワードされてたのかな?!