やりたくない事はやりたい動機付けを考える

この業界で残業が無くなるなど考えてもいない状況です。なにせ入社以来、残業が無いなどということは無かった訳ですから。忙しいときは、残業なんてやりたくも無い、当然そう思います。ところが、仕事が無くなり、就業時間が過ぎるとみんなが帰りだす異常?な状態が、数ヶ月も続くと、ちょっと不安になることも出てきます。その1つが給料。いままでさほど気にした事も無かったのですが、驚くほど激減・・。残業ありきの賃金体制。これがずっと続いてはあまりしゃれにならない。そんなことを思っているときです。別のチームで開発のシステムにトラブルがあり、手助けを依頼されました。大抵、トラブルは緊急性が高く、係りたくが無いのが本音です。が、このときは、ふと、この依頼は食い口になるという思いが出てきました。残業が伴う作業は、収入に直結します。そう考えると、少しやる気が起きました。動機はとても不純かもしれませんが、やりたい動機付けができたのです。同じ事をするのでも、「嫌々やる」のと、「やりたくてやる」のでは、ストレスの度合いが全く違います。ある調査によると、同じ事をやる場合でも、嫌な人から命令されてやる場合と、自らやる場合では、生産性や、モチベーション、質やストレス度合いもかなり違いがでるようです。これについては、考えてみれば当たり前のことです。自らやるということは、やることに対して納得しているからですし、嫌な人からの命令では、嫌な人が頭から離れなければ、気分は良くないからです。さて、嫌な人からの命令かどうかはさておき、物事には、「良い面」、「悪い面」が同居しています。やりたくない事があったとき、何か「良い面」が見つかれば、それが動機になってやりがいがでてきます。同じやる事ならば、自らやる理由をみつければ、それだけでストレスが軽減できるというわけです。ただ、今回の場合、たしかにやる気はでたのですが、動機が収入だけでは、質が伴いません。こう思ってみます。「新しい仕事ができるから、新しい事を覚えれるチャンスだ・・・」本気で思うにはまだ時間がかかりそうですが・・・。