60歳くらいの男性と会話をする機会がありました。なんのこともない日常会話です。先日、車を運転して、信号待ちをしているときに、後ろからぶつけられたというのです。車はバンパーが少しへこんだ程度だったし、相手も平謝りで若い人だったから、特に連絡先も聞かずに、そのまま許したといいます。その話しを聞いて、ぶつけられてそのまま許すなんて、そんな「損」なことは無いと思いました。そして、私の知人の同じような事故の話をしました。その知人も、停車しているときに、後ろから軽くぶつけられたのですが、車に傷も無いほどの事故でした。でも、その知人は、首が痛い、肩が痛いといって人身事故扱いにして、通院し、最終的には、1ヶ月分の給料くらい、保険料がもらえたというのです。それを聞いて、私は、なんて「得」をしたんだと言いました。その知人は過去にも2回程同じようなことで、保険料を受け取っていて、保険は使えるときに使えるだけ使わないと元は取れないし、払うのは保険屋だから、遠慮する必要は無い。と言っていました。確かにその通りです。だから、その60歳くらいの男性に、それは、ぶつけられたんですから、許すんじゃなくて、保険屋に言ってお金もらったほうがぜったいに「得」ですよ。と話したのですが、その男性から、意外な質問がかえってきました。「その知人は今幸せにやっているんかい?」私は、はっと思いました。その知人は、お金は持っているし、知り合いも多く、もてないわけでもない。けれども、唯一の悩みは、ずっと結婚相手が見つからない事でした。別に結婚相手が見つからないなんてことはよくある話しです。私がはっと思ったのは、知人の「得」の考え方が、人に対しても同じだという事に気がついたからです。物事には損得があり、物事を決めるときにに、損が得より小さければ、それは実行されます。でも、その知人は常に「得」を求めます。「損」がついてくるのを嫌うのです。人に対してもそうでした。嫌なところ=「損」があればすぐに連絡を絶つ。そんな考え方でした。そしてその知人からの最後のメールは、最近は会ってもなにもメリット感じないからもう会うのやめる・・。という内容でした。正直、ただの損得で見られていた事が寂しく思いました。それと同時に、その知人も寂しい人だと思いました。そして男性は続けて言います。「お金の損得は分かりやすい。でも、本当の損とか得とかっていうのは見えないところにあるから。それって若いときには分からん。うちくらいの歳になってようやくわかってくる。」その男性の言う事が、少し理解できる気がしました。でも、本当の「得」、「損」というものが、何を意味しているのか、本当に分かるにはまだ時間がかかるようにも思いました。