賽銭箱に1000円を入れたのはその時が初めてでした。いつもは入れても10円です。お賽銭をたくさん入れたところで何かいいことがあるとも思わないし、入れた分だけ何か出てくるわけでもありません。お賽銭など、もったいない使い方だと思っていました。ただ、そのときだけは違いました。たまたま見つけた神社の名前が、私の名前の一部が入っていたのです。それを見たときに、これは偶然ではないと感じました。いえ、きっと勝手にそう思いたくなっただけかもしれません。人は困り果てると何かにすがりたくなるものです。そのとき、私はそれにすがろうとしたのだと思います。1000円を取り出して賽銭箱に入れて願をかけました。父が死なないように。もし死んだら、もう一生賽銭箱にはお金を入れない。神も仏も信用しないと・・。そして、その反面、父が死なないことは本当に良いことなのだろうかと心の片隅で思いながら・・。父が脳梗塞で倒れて何年もたっていました。片側不随で介護なしでは動くこともできません。時々誤嚥性肺炎で熱をだしては、施設と病院の繰り返しです。
週に1回喫茶店へ連れていくのも糖尿病のせいで禁止になってしまいました。やがて熱が続き、食べることもままならず、どんどん痩せていきます。いろいろな薬も試しても効き目がありません。あるとき病院にいくと主治医に呼ばれました。余命半年、診断結果は肺癌です。ターミナルケアを進められました。ターミナルケアは、病気で余命わずかの人を対象に残り時間を満足して最期を迎えられるようにすることが目的としたケアです。つまり治療はあきらめたほうがいいということでした。でもこのとき、どうしても納得がいきませんでした。がん細胞は直接発見することができておらず、肺内部での出血がみられることからの肺癌の診断だったからです。私は素人なので肺癌がどんな症状なのかわかりません。だからこそ、肺の出血と発熱だけでもう治らないと診断されたのが納得できませんでした。熱さえ下げることできればまだ助かると思ったのです。それから、服用している薬をしらべると、2つほど副作用で発熱する記載を見つけました。主治医に薬が原因なのではと相談しましたが、今までその薬で発熱した例はなく、可能性はないと否定的でした。もしその薬をやめれば、脳梗塞になる可能性が高くなるがそれでもやめるのか決めてくださいと言われました。それは、脳梗塞になってもあなたの責任ですと言っているように聞こえました。今のままでも半年ならば、何かするべきと考えて薬はやめてもらいました。このまま半年やせ細って死んでいくのか、脳梗塞を起こして苦しむのか、熱がさがってくれるのか。ただ、やはり死んでほしくはない。それだけでした。賽銭箱の1000円、何かが通じたのか、ただやはり先生の誤診なのか。理由は何であれ、その後熱は下がることになる。